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よく分かる! マーチン・ウクレレ・ヒストリー

第1章「マーチン・ウクレレはいつ頃作られたのか」
すでにマーチンをお持ちの方も、いつかはマーチンとお考えの方も、マーチンって何?とおっしゃる方も、マーチンの「歴史」について少しお勉強しませんか?

まず―
ドイツからの移民であったC.F.マーチンがアメリカのペンシルヴェニア州ナザレスにおいて
「マーチン・ギター・カンパニー」を設立した。
タイクツな話だな・・・。だけど、こういう内容をきちんとまとめたものをWEB上でなかなか見かけない。だから、我慢しよう。

これから書くことは、いくつかの書籍やWEBサイトで読み齧ったことのマトメです。様々な情報(決して量の多さを嘆くわけではない。実際のところ、ごく僅かの限られた、しかも不正確な情報といったほうがいい)のせいで混乱している知識を整理するためのマトメです。
「歴史」というものが(学校の科目だった頃から)ニガテな私があえてこんなことをしている理由は、こちらをご覧ください。

マーチン・ギター・カンパニーの話に戻しましょう―、
1907年からギターのほかにウクレレを試験的に作り始めたものの、当初はスプルースをトップに用いブレイシングも多く配置したせいで、「まるでギターだ。こんなのウクレレじゃない!」と世間の評価は低かったというのは有名な話だ。今でこそ最高峰と賞されるマーチン・ウクレレだが、最初からそうであったわけではないのだ。

そして
1916年、マーチン社は再度ウクレレ作りに挑戦する。トップにマホガニーを用い、板をギターより薄くした。ブレイシングも減らした。ボディ・サイズなどは以前のものから変更しなかったにもかかわらず、事態は一変した。高い評価と、それに伴って高まる需要。工房内のウクレレ用スペースを倍に拡大し、従業員も増員した。マーチン・ウクレレの「スタイル1」「スタイル2」の誕生である。
1918年にプロフェショナル仕様の「スタイル3」を投入、1922年からはもっともシンプルなモデル「スタイル0」を生産し始めた。(「スタイル0」に関しては、ナットがマホガニーの試作品1916年からすでに作られていたとの記録もある。通常のナットはエボニーを使用している。)

マーチンといえばマホガニー・モデルの印象が強いが、その一方で
1920年にはハワイアン・コアのウクレレも作り始めた。それらはマホガニーの従来モデルと区別するために「スタイル1K」「スタイル2K」「スタイル3K」と呼ばれた。2年後の1922年には「スタイル5K」が加わるのだが、第二次大戦の影響でコア材の確保が困難となり、1942年にすべての「K」シリーズの生産は終了している。

ハワイアン音楽が人気を博した1916年から30年代にかけて、なかでも
1926年がマーチン社のウクレレ生産本数のピークだったようだ。年間14,000本以上だったという記録が残っている。その次のピークは40年代終わりから50年代にかけて。ちょうど軍人たちが続々とハワイから本土へ帰って来た時期と重なる。1950年には12,000本近く作られている。
その後60年代の半ばまで安定して生産されたが、1968年から急激に重要が落ち込む。
1968年の生産本数は前年のわずか5%である。やがて、1977年を最後にマーチン社はウクレレ生産を中止するのであった。もっとも、この年まで生産されたのは「スタイル0」と「スタイル3」のみで、「スタイル1」「スタイル2」は1965年が最後であった。

以降も受注生産は継続したが、もっともシンプルな「スタイル0」ですら、発売当初の価格と比較すると、1977年つまり生産終了間際の時点で50倍、受注生産になってからは実に100倍以上の高値になっていた。
90年代になると年間30本余りの生産本数だったことを考えれば無理もないか。当然の成り行きとして、オールド・マーチンを求める動きは急速に活発になった。とりわけハワイアン・コア使用の「K」シリーズはコレクター垂涎の的で、たとえば「スタイル3K」はマホガニー使用の「スタイル3」の2倍以上で取引されるのが現状である。
(ところで、
「スタイル4」はどうなったのか。どうやら1本も存在しなかったというのが真相のようである。)

では、ソプラノ以外のモデルはいつ頃からいつ頃まで生産されたのか。
はじめに
コンサート・サイズ(1−C)だが、1925年に生産が開始されている。3年遅れてテナー(1−T)が市場に投入された。まさに年間供給数がピークに近かった頃だ。バリトン1960年が初年度というから、1977年まで生産が続いたとはいえ流通本数はかなり少ないと思われる。

ところが、バリトンよりはるかに希少なモデルがソプラノ・サイズのなかに存在していたのである。
「スタイル5」である。「5K」ではない。
コアであれば「スタイル5K」、マホガニーであれば「スタイル3」が最高峰だと通常は紹介されるが、実はマホガニーの「スタイル5」が
1941年42年に限って作られたのである。この2年間のマーチン社のウクレレ生産本数は資料に拠れば3586本。果たしてこのうちの何本がいわゆる「スタイル5M」であったのか。そして、そのうちの何本が21世紀の今も健在なのか。一説では数十本と言われているが、本当のところは誰にも分からない。

また、コンサートとテナーのコア・モデルも特注で生産されていたらしく
「テナー5K」なんてレアものの存在が確認されている。こういうのは万一手に入れても決して楽器として扱ってはいけないのだろう。完璧に温度と湿度がコントロールされたガラスケースの中に置いて眺めるのが正しい接し方になるのだろうか。
現在マーチン社が生産しているウクレレはメキシコ製
「バックパッカー」(定価29,800円)および「SO−UKE」(これはマーチ製ギター「D−18」の余った材を使用していると言われる。定価45,000円)の廉価な2本だけである。

第2章 「マーチン・ウクレレの製造年代をいかにして知るか」
マーチン・ウクレレの
製造年代の識別は、商品として値段が設定される際に重要なファクターとなる。ウクレレにはシリアル・ナンバーが付いていないせいで、なかなか年代の特定が厄介なのである。
では、何を手がかりに製造された年を特定するのか。手がかりはいくつかあるのだが、たとえば―、

ヘッド裏側に
刻印があれば1933年までのモデルであると言える。その後はヘッド表側のデカールに取って代わられるのだが、刻印とデカール両方が施されたものも存在するらしい。それは1932年に裏の刻印を押された製造過程のものに1933年になってからデカールが施されたと考えれば説明できる。
バー・フレットが使用されたのは1934年までなので、T型フレットであればそれ以降であると判別できる。
ヘッドのデザインがわずかに細長く変更されたのは1940年である。
ボディー内部に「C.F.Martin & Co., Nazareth, PA」とのみ刻印されていれば
1962年以前。1962年からは刻印に「Made in USA」が追加されている。

ここまではすべてのモデルに共通するものだが、それ以外に、例えば
「スタイル0」のペグがウッドから硬質プラスティックになったり(1927年)、コンサートおよびテナーのバインディング1938年ローズウッドからプラスティックに変更されている。このように、モデルごとの変更点に注目することで年代をより正確に特定できる。
とりわけ
「スタイル3」は、おそらくコスト削減のためだろう、次第にデザインが簡素化されていったという歴史があるので年代の特定が比較的容易である。
最初期のポジションマークは
ダイヤモンド型だったが、30年代(1933年頃?)に一旦はスノーフレーク型になったものの、すぐに丸型に変更されている。(そのためスノーフレークはレアである。)1940年にはポジションマークがアバロンからパールになった。40年代の半ばにはボディ下部の飾りがなくなり、50年代初めに指板のラインが取り外された。真のコレクターは、したがって、1940年代後半以降のものには見向きもしないらしい。


では、このマーチン・テナーの年代をどのように絞り込んでいくか・・・。
最初に生産されたのは
1928年。バインディングがローズウッドだったのは1937年まで。翌年からは鼈甲柄のプラスティックになる。

ローズウッドのフィンガーボードは当初
12フレットのところでボディーとジョイントされたが、いつの頃からか14フレットでのジョイントに変更される。正確な記録は残されていない。12フレット・ジョイントと14フレット・ジョイントの流通本数から考えて、1960年代半ば、もしくはそれ以後と思われる。1964年65年あたりか。(いずれにしても、サウンド・ホール内の刻印に「Made in USA」があるので1962年以降であることは分かる。)

であれば、1968年以降はテナーに限らずウクレレ自体が極端に少数しか生産されていないわけだから、
「1965年から1967年まで」と実に大雑把に推定されるのだった。

あれ? なんだ、こいつ、オレより若いのか・・・。
ウクレレと人間を比較するのも何だが、道理でオレの体のほうがあちこち痛んでいるはずだ。
<2004/02>

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